震災の記憶 つれづれ日記

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震災の記憶

 2011年1月17日 6,434人が亡くなった阪神大震災から、今日でまる16年を迎えた。

 被災地の復興は順調に進んできたかに見えるが、確実に地域の繋がりが薄れ、高齢者を中心とした様々な問題が多く発生しているのも事実である。



震災の教訓
 家庭や地域でこの教訓を生かし、後世に伝えていく取り組みが行われているが、官民共同で永く継続できる仕組み作りが必要であろう。

我が家の震災
 1995年1月17日の朝、結婚して半年後に起きた大惨事。その時、妻のお腹の中にいた長男は今春晴れて高校生となる。

 轟音と大きな揺れで目を覚ますも、状況を把握するのに少し時間が掛かる。揺れが治まった後、マンションの周囲から叫び声が交差する中、次の揺れが来る前に家を飛び出し近くの公園に取りあえず向かう。公園には多くの人が避難していたが、混乱する様子もなく静かにその場に佇んでいる。

 少し明るくなってきた頃にラジオから地震のニュースが流れ少し状況を把握、周囲の家々はほとんど半壊か全壊していることが夜明けとともに判明。その後、近くの小学校に移りしばらく様子をみることにする。

 少し冷静になったとき、小学校から山側に徒歩10分程のところにある実家が気になり、妻を教室に残し様子を見に行くことに。坂道を登っていくと阪急以北ではほとんどの家が潰れずに残っている。少し痛んだ様子はあるものの、私の住んでいるJR以南とは大違いであった。
 幸いにも実家は倒壊を免れていた。父は仕事で不在、母は地震で一旦目を覚ますもまだ暗いから再び寝ていたとのこと。この時点では、実家周辺のライフラインはなんとか使えており、水と食料の確保を指示し再び下界に下りることにした。

 自宅のマンションの倒壊は免れていたが、室内はメチャクチャ、半年前に買い揃えた家財道具は全て使い物にならない状態。テレビは隣の部屋まで飛んでおり、冷蔵庫や食器棚も部屋の反対側まで移動しており揺れの凄まじさを物語る。地震の際、妻は洗面所に居たため無事だったが、リビングに居なかったのは不幸中の幸いであった。
 荷物をまとめて1階の駐車場に行くと、車は20センチ程横に移動していた。また、これも幸運なことに車の背後のブロック塀が車と反対側に倒れており、唯一の移動手段となった車は何とか無事。周辺の民家は殆ど全壊しており、私の住んでいるマンションだけがぽつんと建っていた。何とか車1台が通れる道を縫って実家まで辿り着き、その夜は実家で過ごすことにした。

 夜遅くまで余震が続き、サイレンの音が響き渡る中、妻は衝撃と寒さのせいでお腹が痛むと言っており、少しでも早く神戸を脱出する方法はないかと思案しながら、眠れぬ夜を過ごす。翌朝の状況は、阪急西宮北口までは電車が動いており、大阪の病院に向かうには阪急電車の線路を3駅分歩く方法と、車で渋滞の激しい道と突破する方法の二者択一となる。

 どちらもリスクはあるが、最悪車中泊も覚悟して車で妻の実家のある八尾へ向かうことにする。ありったけの食料、水、毛布を車に積み込み決死の覚悟で大阪に向かうことにした。
 渋滞が少し緩和するであろうとの読みで夜の8時に出発。考えられるだけの裏道を酷使して、芦屋、苦楽園を経由して171号線に出るも、橋が使えないため宝塚、川西、池田と迂回して豊中に戻れたのは12時前となる。
 しかし、大阪府に入ると景色は一変しており、お店が普段通り営業しているのを見て安堵するとともに力が湧き出てくる。その後1時間程で八尾の実家に無事到着。この夜はゆっくりして翌朝一番に病院に向かうことにする。

つづく

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